ウェブアンソロジー八天楼

にせもの花

伴美砂都/著


 一花のアルバイト先は八天楼という中華料理屋で、地下鉄の駅前の、結構いい立地にある。けれど古い雑居ビルと古い雑居ビルの間の細い隙間に挟まれて、もちろん店も古いから、そこだけ一昔前みたいにひっそりしている。
 一昔前の「一昔」が人によって十年だったり二十年だったり十二年だったりするということを教えてくれたのはまえのまえにアルバイトしていた雀荘のお客さんたちで、その雀荘も八天楼に負けず劣らずの建物でいつの間にか取り壊されることになってしまった。
 そのあとコンビニとクリーニング屋とマクドナルドとガストを転々としたけれどなんだかどこもつまらなくて、そうこうしているうちに、八天楼にたどり着いた。

 八天楼は夫婦でやっている店だ。おじさんは小さくて、おばさんはどんとして大きかった。ただ大きいだけじゃなくて強そうで色気がある。大ぶりの花のようだと一花は思った。反対におじさんは風に揺れる草のようだが、裏口の外のほんの狭い隙間でたばこを吸っているとき、ただの草ではなく根の生えた草だった。
 お世辞にもきれいとは言えない店だけれど昼時になればお客さんはそこそこ入り、だいたいは常連だけれど毎日何組かは新しいお客さんも訪れた。反対に昼時以外はひまで、テーブルは何度拭いても油でペタペタしていた。だから一花はだいたいカウンター席の一番奥の椅子にちょんと座って、厨房の中の椅子にどんと座っているおばさんと、なんでもないような話をして過ごした。フルタイムで雇われる必要があるのか疑問に思うときもあったが、長続きしなかったほかのアルバイトより、八天楼はずいぶん居心地がいい。

 おばさんは中国出身だった。おじさんは日本人で、一花は少し自分のことを思った。一花の母親も中国人で、父親も日本人だ。母親は一花が中学生のときに出て行ってしまって、いまは福岡で彼氏と暮らしている。ときどきLINEするので知っている。
 父親は母親と今もう連絡をとっていない。母親が出て行った家にお手伝いさんを雇った。一花は高校を卒業するまでその家で暮らした。父親もひっそりとしている、というより仕事でほとんど家におらず、一花ももう思春期だったし、べつに寂しいと思ったりしなかった。
 父は「ちゃんとした人」なのだろう、と一花は思う。そして、母親が家を出ていった理由が、なんとなくわかるような気がするのだった。だからといってぐれたりもしなかったし、家出もせず、淡々と暮らして、大学生になるのと同時に一人暮らしを始めた。父親は初めて少しだけ反対した。若い女性の一人暮らしはあぶない、と声を荒げるふうでもなく言ったのを聞いて一花は、はがゆいような、頼もしいような、強いて言うなら「一昔前」のような、気持ちになった。
 遠くの学校ばかり受験していたのを父親には言ってなかったが、それを責められることはなかった。結局、学生専用のアパートに行き先を決めて、卒業までの日々もまた静かだった。


 初めてのお客さんで、サラリーマン風の四人組の若い男の人たちだった。お昼を過ぎたあとで店内にはほかにお客さんはいなかったし、にぎやかに話していてもたかが知れていた。横柄な態度をとられるとか変なクレームをつけられるとかそんなこともなかった。料理ができあがるのを待って、カウンターの奥の席の横ぐらいに一花は立っていた。

「中国人はなあ、あいつらが作ったもん全部にせものだろ?」

 一花の腰のあたりがギッと押された。厨房からおばさんが出てこようとしていた。そういえばカウンター席の一番奥は一席分の椅子がなくて、一花はそこを待機場所ぐらいにしか考えていなかった。入り口に近いほう、レジの横に少し隙間があってふだんはそこから出入りする。
 あ、ここ開くんだ、と思ったが声には出さなかった。水ギョーザを受け取ろうとした一花を目で制して、おばさんはにやりと笑ってからサラリーマンたちの席へ歩いて行った。

「にせもののギョーザ、お待たせえ、请吃吧」

 男たちは俯き、もう何も言わなかった。


 一花は中国に行ったことがない。中国語も話せない。母親が中国語を話しているのを聞いたことも、おぼえている限りでは一度しかない。電話の相手がだれだったのか、知らない。母親は家でも外でも決して中国語を話さなかった。日本人のように振る舞った。けれど小学五年生のとき、クラスの女の子に言われた。取り囲まれたとかじゃなくて、一対一。

「いちかちゃんのお母さんてガイジンなの?」

 一花はきょとんとし、それから反対に問うた。

「それって、どういう意味?」

 級友は俯き、もう何も言わなかった。


 八天楼は一階だけしかない店だが、一番奥に倉庫がある。予備の食器やなにが入っているのかわからない段ボール箱などが積んである。小さな小さな部屋で、ふだんほとんど入ることはないが、隠れ家のようで一花は密かに気に入っている。
 サラリーマンたちが帰って行ったあと、おばさんは珍しくそこへ入って行った。いつも冗談なのか本気なのかわからない顔で、わたし太ってるから出らんなくなるから、と言って一花にたのむのに。なにが入っているのかわからない箱を、開けているようだった。
 戻ってきたおばさんは片手に大きなガラスの瓶、もう片方の手に、紙でできた花を持っていた。少し、チープな花だった。小学生のころ折り紙でこういうものを作ったかもしれないな、と一花は思った。

 おばさんは厨房に入って行って、大きな瓶にじゃあじゃあと水を入れ、腕を伸ばしてカウンターテーブルの隅にどんと置いた。そして、紙でできた花を、こちらはそっと差し込む。ぎゅっと蓋を閉めた。瓶は分厚いガラスで少し気泡が入っていた。
 一花が見ていると水のなかで花はどんどん開いた。あざやかな色だった。おおお、と思わず声が出た。紙のはずだが破れたり溶けてしまわないのが不思議だった。開いた花はおばさんが持っていたときと同じようにチープな味わいだが、堂々としていてきれいだった。

「にせもの花だよ」

 おばさんが言うのを聞いて一花は、あ、おばさんはさっきので怒ったんだ、と知った。もしかしたら、わたしも怒ったのかもしれない。でも、怒った、と声高に言うには一花は自分のはんぶんに流れる血のことを知らなすぎて、だからあのギョーザは、おばさんが運んでくれてよかったんだなと思った。一花は母親が中国のどの地方から来たかも知らなかった。お母さんは、中国を忘れたかったのだろう、と一花は思う。あるいは、中国を忘れたと思われたかったのかもしれないと。
 その花の名前が「水中花」なのだということは、自分で調べて知った。水中花はにせものかもしれないが、簡単に枯れたり色褪せたりしない。


 そういえば一花は、にせものっぽい、と言われたことがあった。大学生のころだ。大学で一花は経済学部に通っていた。母親のことにいろいろと思いを馳せたり馳せなかったりしたくせに、中国文学とか歴史とかそういう学問は選ばなかった。成績はよくも悪くもなく、無難だった。
 そう言ったのは友達の友達で友達になりかけぐらいの人だった。大学にはコミュニティホールというのがあって、実際的には食堂なのだけれど、みんなコミホと呼んだ。授業の空き時間にそのコミホで、友達とか友達の友達とかとなんでもないような話をしていた。

「一花ちゃんってなんかにせものっぽい、陶器の人形みたい」

 どういう意味、とは今度は問わなかった。あ、ばれた、という気持ちが少しなくはなかった。でも一花はもちろん陶器ではないし、なにが本物かにもよるけど、人間かどうかということなら、人間だ。どう答えたのかは、忘れてしまった。
 その子は思えば一花のことを嫌いだったのかもしれない。一花は就職活動をしなかった。もともと高卒で就職するつもりで、どうしても大学へ行けと言ったのは父親だった。新卒で就職するのをやめたのは、初めての反抗だったのかもしれなかった。いわゆるフリーターになるつもりだと、あえてだれかに言ったおぼえもなかったが、彼女は知っていた。

「なんか一花ちゃんっぽいね、そう思う」

 それはにせものだからだろうか、と、でも一花は問わなかった。


 おばさんは出て行ってしまった。あいつは出て行ったよ、とおじさんはまるで一昔前のドラマのように、少し寂しげに言った。平日の午後三時、カウンターの一番奥の席にぼんやりと座って一花は、おばさんはもしかしたら、自分が出て行こうとしてわたしを雇ったのかもしれないな、と考えた。
 おばさんがいなくなっても、おじさんの佇まいは変わらなかった。ずっと厨房にいたのが、行ったり来たりして料理を運んでくれるようになったぐらい。味も変わらない。母親の生まれた国のことを知らないままでも、八天楼のまかないはどんな食べ物よりも一花の臓腑にしみわたる。
 おばさんがなんで出て行ったのかも、一花は知らないままだった。知らないままでいることが多いな、と、もうすぐ店の終わる夜八時ごろ、入り口のすりガラスの扉の向こうに、ぼんやりと月の浮いている気配を感じながら一花は思う。カウンターテーブルの隅にはいまも、にせもの花があざやかに、水の中に咲いている。


〈了〉

*2021年11月「ノベルバー」企画参加作品 テーマ「水中花」



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