ロゼット文庫

* rosette bunko *

monologue

2022年12月30日

 12月はじめに脚の手術をした義母が退院するので迎えに行った。
 入院中の用事をいろいろしていたので、本当は今日ぐらいは夫に迎えに行ってもらって休もうと思っていたのだけれど、夫が「風邪っぽい」と言うので私が行くことにした。本人は鼻水だけで熱もないし全然行けるというのだが、このご時世ちょっとでも風邪っぽい人が入院病棟に侵入(中までは入れないが)するのは駄目だろう……。よく考えたら私も駄目な気がするけど、ほかに頼める人も居ないし、そこはもう仕方ないや……と思って行った。
 病棟の入り口まで義母を迎えに行き、買い物も一人で行くのは荷物を運ぶのがしんどいかなと思って、帰りにスーパーに寄った。義母はたいへん感謝してくれ、お寿司を買ってくれるというので、ありがたく買ってもらうことにした。本当は今日は夕食を作って家に招こうかと思っていたのだが、念のため明日まではやめておくことにする。義実家に荷物を運び込んで、帰った。

 そういえば10月からここには日記を書いていない。あれから、義父はなんとか持ち直したのだが、元いた施設には再入所を断られてしまった。今いる病院は1月の半ばにはもう出なければならなくて、次の行先がまだ決まっていない。病院からの連絡待ちだということだが、年が明ければ、今後のこともまた考えねばならないのだろう。来年も、なにかと心配事の多い年になりそうだなと思う。
 そういうこともあって、ついつい、ああ今年もしんどい年だったな、等と思ってしまう。でも、実家の父もまだ治療中とはいえ、手術と入院を無事乗り越えて帰ってきてくれたし、もう亡くなってしまうだろうと言われた義父も、生き延びた。義母の二度にわたる脚の手術も、無事終わった。今日、実家には妹が帰って、両親と犬と一緒に年末年始を過ごしている。わたし自身も、まだときどき吐いたりするし首の詰まった服は着られないけど、去年よりはずいぶん体調も良くなった。大まかに言ったら、無事暮れんとす、ということで良いのかもしれない。

 12月は、フルタイムで仕事もして家事も殆どやっているのに義実家の用事でもいろいろあてにされる、ということが本当に嫌になってしまって、ずっと怒っていた。ここしばらく、夫に対してモラハラみたいな怒り方をするようになってしまっていて、それは10年分の積み重ねではあるのだろうけれど、やっぱり良くないなと思った。もう無理です、もう何もしませんと積年の不満を義母と夫と三人のグループラインに送る文章まで作って、思いとどまった。今は、きっと思いとどまっておいて良かったのだと思っている。

 ともかく、今年も無事暮らせたことに感謝して、明日は少しゆっくりしたい。

2022年10月1日

 9月22日から26日まで実家に帰っていた。9月の頭から10月のおわりまで父親が入院することになり、母が一人暮らし(正確には犬がいるのでひとりと一匹)になってしまうため、にぎやかし要員として帰省することにした。
 少数の地元の友人と会った以外は、ほぼ家で母としゃべるか犬と戯れる帰省だった。余談だが、まえ実家で飼っていた犬は自分のことを人間だと思っていたふしがあるが、いま居る犬は自分以外もすべて犬だと思っているような気がする。
 父の病院へは新型コロナの影響で面会はできないが、実家から電話して話すなどした。幸い治療は順調のよう。
 小食な母がわたしと同じ大きさのお弁当を完食するのをみて嬉しく思う。同時に、遠くへ嫁いでしまったことの罪深さをずっと思っている。実家からこちらへ戻るときはいつもつらい。母はさみしいとは言わないが、言わないようにしてくれているのだと思う。後ろ髪をひかれる思いで電車に乗る。
 
 27日は出勤した。仕事が終わるころスマホを見たら夫から「父さんが危ない」とラインが入っていて慌てて病院へ直行した。実家の父ではなく夫の父である。波乱万丈すぎるだろう、と冷静にツッコミを入れたつもりですこし手がふるえた。
 義父は施設で急に体調が急変し救急搬送されたのだという。その日はもう今晩もつかどうか、という状況で、離れて暮らす義姉も深夜に帰って来た。
 結論からいうと一晩過ぎ、二晩過ぎ、どうやら命の危険は脱した。今は、「なにかあれば駆けつける」という状況ではあるものの、一先ず今日明日という危険な状態ではないのだそうだ。
 くも膜下出血でたおれてから15年、義父は何度も死の危険をのりこえてきた。後遺症で発語できない義父がどう思っているか知るべくもないが、義父の身体は生きたいと言っており、そして強い。
 今週はなかなか激動だった。

2022年9月11日

 Tumblrの綴りがいつになってもよくわからない。読み方はタンブラーで良いのだったか?ここに書く日記は誰が見ているのか全然わからないけど、ここももしかしたら意外と誰か見てくれているのかもしれないなと思う。
 6月は思えばやっぱりちょっとどこかおかしくなっていて、義父の施設へ行くのに国道を通った方が絶対に早いのに、国道を運転するのが怖くなってしまって遠回りな道をすごく時間をかけて通っていた。あのとき研修をぜんぶ受けることができたのはひとえに職場の人たちのおかげだと思う。(会社のテレワーク期間がもう終わっていたのにオンライン研修を家で受けさせてくれたのみならず、URLを資料をメールで送ってくれたりした)なにかあとひとつずれたら無理だったろう。
 夫の親のことだから夫に任せるべきだというのがそれは正論だし理想だけれど、結婚すればそう言っていられないことばかりだった。だった、というのは来年で結婚して10年が経つからで、べつに、それで結婚生活が終わるとかではない。義母のことを殺してしまうかもしれないと思った日もあるけれど、ずっと嫌いなばかりでは決してない。義父にかんしてはくも膜下出血で倒れてお話ができなくなってしまってから出会ったので、好きも嫌いもわからない。でも、たぶん義父のなかではわたしは「なにかいいもの」として認識してくれているようなので、それであれば、どちらかといえば「好き」なのかもしれない。わからない、意思疎通できたような気になっているだけだろうか。
 部屋の隅に現れたごきぶりは殺すけれど、蜘蛛はできるだけ殺さない。蜘蛛はがんばれば意思疎通できそうだもんな、とふと思って、それはウエマツ理論だろうか?日々、たくさんの事件が起きていて、そのうちウエマツ理論ということばも、ぱっと言ってわからない人のほうが多くなるのかもしれない。いや、もともとそんな言葉はないかもしれないけど。それは、でも、ほかのたくさんの事件について、あまりにもわたしが知らないのとおなじように。

2022年9月1日

 8月は、本当にあっという間に過ぎ去ってしまった。
 義父が回復したと思えば、実家の父親がまた入院することになり、心配ごとは尽きないものだなと思う。
 ただ、ただ、元気になって帰ってきてくれるのを待つのみ。

 同期の子どもが産まれたときいた日、もうひとりの同期の夢を見た。職場に居て、派手な黄色っぽい服を着ていた。
 彼女も出産して育休を取っていて、そのあいだに配偶者の方の転勤が遠くに決まって、そのまま辞めてしまった。
 職場でも、派手まではいかないけれど、わりかし華やかな服を着ていた。彼女のことがわたしにはまぶしくて、うらやましくて、大嫌いで大好きだったなと思う。
 このまえ出産した同期は、産休に入るまえに突然絶対安静になってしまってそのままお休みに入っていたので心配していて、無事子どもが産まれたときいて本当にほっとした。
 ふたりとも、一緒に入社したときは独身だった。苗字が変わり、(なんなら一人のほうは二人ぐらい付き合ったり別れたりしていた)子どもができ、出産して、ひとりは退職して引っ越してしまった。
 わたしだけがなにも変わらずにいる、というのも、なんだか当たり前のことみたいになって、たぶん、べつに、悪いことではない。

2022年8月15日

 お盆休みは怒ってばかりだったような気がする。今は申し訳ない気持ちがしている。
 義父の体調は持ち直したようで、良かった。


2022年8月11日

 義父が新型コロナに感染してしまい、少し熱は下がってきたがまだ体調が良くないというので心配している。政府の方針で、施設からは急変しないと病院への搬送はできないのだという。施設に入っている人は死んでもいいということか、と義母は怒っていた。気がかりの消えない日々が続いている。

2022年8月5日

 義父の暮らしている施設で新型コロナのクラスターが起きているというので心配している。みんなどうか無事で居てほしいと思う。

2022年7月23日

 いま住んでいるアパートが老朽化のため、来年ぐらいに取り壊されるのだという。
 今日、管理会社の方が訪ねて来られたときわたしは玄関のすぐ近くでGLAYの「とまどい」を熱唱していて(廊下を掃除していたのだ)、チャイムが鳴ったのでどきっとした。管理会社の係長さんだという方にわたしのGLAYを聞かれていたかもしれないと思うと恥ずかしいが、たぶん係長さんはそんなことは気にしていないであろう。
 少しびっくりしたし、この部屋は気に入っているからさみしい気もするが、いつかこんな日が来るだろうとも思っていた。
 本当に古い建物で通路にひびがいっているし、どこからか虫は入ってくるし、なんならフローリングと浴槽もちょっと割れてきてる。このまちに越してきてからおよそ10年、よく住んだものだと思う。でも、このちょっと周囲から取り残されたというか、田舎のなかでは比較的人気のエリアなのだけれど、そこに似つかわしくないような、元々あるうちにそうなってしまって戸惑っているような風情が、わたしは好きだった。
 もともと将来的には義実家を二世帯にするなどして義母と同居する予定ではあったので、来年以降はそうなるかもしれないし、一度別のアパートに引っ越すかもしれないし、わからない。ずっと下の方の階にしか住んだことがないので、一度ぐらい、四階とか五階とかの、眺めのいい部屋に住んでみたい気もする。でも、難しいかもしれない。このまちにそんな高いマンションみたいな建物は、そう多くない。
 このまちに来る前、ひとり暮らしの家を出たときは、もう今日は書かないけれど、事件に巻き込まれて逃亡を余儀なくされたような、不本意な引っ越しだった。そのあと一度実家に帰り、ここに越してくるときは、来ることを自分で決めたはずなのに、心がついて来られないような引っ越しだった。そのときに比べたら、少しはいい引っ越しになるんじゃないかな、という気持ちで居る。わかんないけど。
 今週は、わたしのスマートフォンがいきなり壊れて機種変更したり、夫が風邪をひいてPCR検査を受けたりして(陰性でした)、そして今日なので、なんだかいろいろあったなあと思っている。いまは平穏に暮らしているので、大丈夫。
 夕方にもう一度チャイムが鳴って、ちょっとちがうおじさまのようだけれどもしかしたらまた管理会社の人が訪ねてきたのかなと思ったら、新聞の勧誘だった。わたしたちは来年もうここを去るのですと言おうか一瞬迷って、ほかの新聞をとっているのですみませんと言うにとどめた。

2022年7月19日

 いつの間にか7月も半ばを過ぎてしまった。地図を見るようにしてカレンダーをなぞって、今このあたりにいる、などとやっている。

2022年7月6日

 出張から帰って、日常に戻った気持ちで居る。
 このまえの日記を書いたのを忘れていて、「6月はいろいろなことがあった」と書こうと思ってこのページを開いたら、もう書いてあった。
 無事帰ってきて、ほっとしている。

2022年6月25日

 父の日に実家の父に電話をしたら、「来週手術」と言われびっくりした。今日、無事退院のメールが母から届き、一安心。
 義母の脚の手術も無事に終わり、一先ずほっとしている。
 いろいろなことがあったせいか体調を崩してしまい、オンライン研修を本当は職場で受けなければいけないのを自宅で受けさせてもらうなどした。
 職場の先輩たちが忙しいのに資料をメールで送ってくれたりして、ありがたかった。
 今は、ずいぶん復活してきたと思う。
 明日から、三年ぶりぐらいに出張なので(そのせいで緊張していたのもあると思う、不便な身体であることよ)なんとか行って来たい。


2022年6月12日

 なにかの会合で料理を出す係なのだけれど、料理が不味くて怒られるという理不尽かどうかわからないような夢を見た。
 なぜ、わからないのかというと、味見をするという役目がちゃんとあったからだった。
 義母は昨日入院して、明日手術。いろいろ忘れ物をしたというので持って行く。手術がうまくいくよう祈っています、とLINEを送ったのは、私なりの「祈り」との折り合いのつもりだった。
 毎日少しずつ「タッチ」を見ている。ドラマチックな展開。


2022年6月4日

 昨日、思い立って「あすけん」を始めてみた。
 昨日は33点、今日は49点。あんまり健康的でない食生活を送っているみたいだ。
 あすけん始めたんだよね、と夫に言ったら、ふーん、と流されると予想していたのに、えらいじゃん、と言われたので、少しびっくりした。


2022年5月14日

 久しぶりに、小学校の図書室に勤めている夢を見た。もう卒業してしまった子たちがいて、「これは夢だな」と思っている夢だった。
 小学校の図書室には、2年勤めた。パート勤務でお給料が安く、経済的な理由で転職したが、結婚して慣れない土地で、むなしいことばかりを感じ取ってしまうような心もちで居た時に、子どもたちの命の熱量のようなものはわたしの心に確かな温もりをもたらしてくれた。貴重な2年間だったと今でも思う。
 保健室登校の子と、よく話をするようになったことがあった。彼女と互いに心の支えになったと思うが、あまり詳しくは書かないが、距離感を誤ってしまったこと、最後に会った日にわたしの誤りで信頼を損ねてしまったかもしれないことをいまでも後悔している。
 もう過ぎ去ってしまったことだ。彼女が大人になったとき、わたしのことをもし思い出すとして、ああ、あの人も幼い大人だったのだなと、少しあきらめるような気持ちで思い出してくれればいい。あの日々にわたしを助けてくれた子どもたちが、皆、無事で、幸せに暮らして大人になっていれば良いと思う。


2022年5月8日

 シフト勤務なのでゴールデンウィークは飛び石で出勤するのが常だったが、今年は6連休もあってびっくりした。
 義母との用事が入る日が多くて、そういう日はたとえば用事が夕方からだったとしても、なんとなく一日中落ち着かない。
 twitterの鍵アカウントですぐ義母の文句を言ってしまう私は、嫌な人だなと思う。義母のことを、嫌いなわけではないのだけれど、ときどき生じる彼女との齟齬を言葉にするのはとても難しい。

2022年4月25日

 午後の予定が無くなったので少し歩いて出掛けた。強く、花の匂いがすると子どものころのような気持ちになるのは、わたしが少女だったころ、30年前ぐらいの田舎なので、畦道で遊び放題という風情で、そういうことを思い出すからだろう。割り箸にスルメをぶらさげてザリガニを釣ったりしていた。もっと無邪気に楽しい思い出であればよいのだけれど、いつもなにかを心配している子どもだった。でも、幸せな少女時代であったと思う。

2022年4月16日

 年度が変わって慌ただしくしているうちに日が過ぎていた。
 慌ただしさがひと段落したところで体調が悪くなって昨日は早退してしまった。今日はなんとか無事に勤めたのでほっとしているところ。
 去年の11月~12月頃に体調を崩してからこちら、復活を果たしたようでいて少し無理をすると具合が悪くなるのでいけない。
 むかしからメンタルが弱かった自覚はあるが、無自覚に身体に出るようになったのは近年で、去年は吐き気が酷くて仕事へ行けない日もあった。そのとき父の病などで心配事もあったのだけれど、それはきっかけのようなもので、何年も飲み込みたくないことを我慢して飲み込み続けてきて、嫌になってぜんぶ吐き出そうとしているのだろうと位置付けて納得した。今はそれほどひどくはないが、どちらかというと「あのときのようになってしまったらどうしよう」という不安だ。
 さまざまなことを、今よりもっと「つらい」と思っていたときは、もう過ぎ去ったのに、いま、こんなに弱くなってしまったのは不思議なことだ。でも、仕方がない。

2022年3月31日

 朝はまだ寒いのに、気がつけばはくもくれんの花が開き、桜もほころんでいる。通勤路は一瞬だけ桜並木と交差する。信号待ちで少し横を見る。

2022年3月24日

 飛ぶように日が過ぎていく。年度末はどうにも落ち着かない。

2022年3月17日

 また大きな地震が起きて心配している。大丈夫ですか?わたしは大丈夫です。皆さまどうかご無事で。

 ここ最近また悪夢が続いていた。今朝の夢は、いい夢かというとそうでもない気がしたけれど、仲の良い上司が登場したので少しほっとした。朝、会社でその話をして、笑った。

2022年3月11日

 あの震災で、わたし自身は被災しなかった。知人で被災した方は居たが、亡くなってしまった方はいない。でも、何年経っても何度でも、今日はあの日のことを思い出す。
 会社で黙祷をした。事務室がしんと静かになったとき、外から鐘の音がきこえた。

2022年3月4日

 もう20年ほども昔の、わたしが高校に入ったばかりのころ、同じクラスの女の子が廊下で倒れてしまったことがある。
だれかが先生を呼びに行って来るまでのあいだ、「身体を冷やしてはいけない」とべつのだれかが言い出し、クラスの子たちは倒れてしまった彼女の身体の上に、自分らのジャージを持ってきてかぶせ始めた。
 話したことのない子だったが、心配しなかったわけではない。しかし、わたしが見たときには彼女のうえにはすでにジャージが山になっており、いまから自分のジャージを持って行ってかけるべきか、悩んで、結局かけに行かなかった。
 そのことについてだれにも責められることは無かったけれど、冷たい人だと思われたかもしれない、という思いがずっと消えなかった。

 いま、ウクライナの戦争の情報や反戦を叫ぶタグがどんどん流れてくるタイムラインを見ていると、どうしてかわたしの脳内には廊下に山盛りになったジャージと、同じようにジャージをかけに行かなかった友人と少し困ったような顔を見合わせた、あのときの風景が蘇る。高校の多くのクラスメイトたちとのあいだにずっと感じていた、うすい膜のようなものを思う。勿論、ことの大きさの大小は随分違うけれど。

 どんどん流れてくる戦争の情報に、たぶんすこし疲れている。ロシアとウクライナのことが緊急で喫緊なのはわかっているつもりだけれど、それではウイグルは、アフリカは、アフガニスタンは、考え始めると世界では毎夜、毎秒、争いでひとが死んでおり、きっと日本の東京に居ても、ひとりぼっちで死んだひとは。
 いろいろな無念が心のなかに渦巻きはじめて気持ちがつらくなってしまう。だからといってニュースは見ないというのも、ちょっとちがう気はするんだけど。

 それぞれの場所で、それぞれのやりかたで、平和を願いたい。

2022年2月24日

 おんなの身体で生きており、毎月血も出る。不妊治療でピルをやめてから、月のものの訪れる一週間ほどまえから精神状態がとても荒れてしまう。訪れてしまえば、どちらかというと世界はぼんやりとする。

 ウクライナのひとたちは大丈夫だろうか。戦争など起こらなければいいのに、どうして。

2022年2月21日

 なぜ小説を書くのかというタグのこたえを、ツイッターに書こうと思ってなんとなく書けなかった。
 わたしが小説を書き始めたのは17歳のときで、大仰な言い方をすれば、「同じように世界を見ている人を探したかった」のだと思う。
 いまはもう少しいろいろな動機や理由などが追加されているようにも思うが、基本的には、たぶん変わらない。
 わたしが見ているのと同じ景色を、だれか見ているかどうか探している。

2022年2月17日

 会社で社員証の更新があった。あたらしい顔写真は会議室に入れ替わり立ち代わり入って撮ってもらったものだ。入社したときよりいくぶんすっきりとして、自信のありそうな顔になっていたので嬉しかった。歳を重ねてくればときにはこんな日もある。

2022年2月16日

 不幸そうまでいかなくても、なにかしら大変なような顔をしていなければ突然後ろから殴られる、みたいなことが起きそうな気がするときがある。世の中の話。被害妄想かもしれないけど。

2022年2月13日

 少しずつ小説を書いている。

2022年2月12日

 むかし勤めていた会社にまだ所属しているという夢を久しぶりに見た。これから夜勤に行かねばならないのに私は実家に居て、起きたばかりで、「間に合わないな」と思っている夢だった。
 「行かなければならないのに間に合わない」という夢を、ときどき見る。それは学校であったり、むかしの職場であったりする。今の職場は、そういえばあまり出てこない。
 「行ってみたら遅刻した」という夢ではなく、「たぶん間に合わない」と思いながら、だいたい実家に居る。

2022年2月10日

 たくさんの街で、今日は雪が降ったのだという。それでもふと見れば午後五時の外はいつの間にか明るさを増していて、きっと否応なく春になる。

2022年2月6日

 金曜に書いたはがきは、今日出した。昨今では郵便は、届くのに以前より時間がかかるのだという。何もかも、そんなに速くなくともよいと思う反面、この社会がすこしずつ衰退していくことの一端であるような気もしてしまうのは、心配しすぎだろうか。でも、少なくとも今回の手紙に関しては、そう急ぐ旅でもない。
 今日は仕事が休みで、気付いたら半日眠ってしまった。起きたとき夫に、疲れてるの、と尋ねられたけれど、おそらく疲れているのではなく、情報処理に時間がかかったのだと思う。
 夢に妹が出てきた。わたしの住む土地、というのは、夢のなかでわたしが住んでいるという設定の土地だけれど、そこへ遊びに来てくれて、お土産屋さんに一緒に行ったりする夢だった。遠くへ住んでいるので今またなかなか会えない。目覚めて、会いたいのだなと思った。昨日、元気にしているようなメッセージが届いたので、嬉しかったのもあるかもしれない。

2022年2月4日

 午後、林檎班のグッズが届いた。実用性をまったく考慮していないところが好き。
 義母の手伝いに行く約束をしていたのだがすっかり忘れ去られていて笑った。義父の面会だけ一緒に行く。コロナ禍にて十分足らずのオンライン面会は、義母のお祈りで締められる。クリスチャンではないわたしは義母に祈られたり、祈ってほしいといわれるのがつらいときがあったし、いまでもときどきはある。けれど義母の信仰をもし、だれかに悪くいわれるようなことがあれば怒るだろう。ふたつの気持ちは同居する。
 夕方に思い立ってはがきを2枚、書いた。

2022年2月3日

 もう2年以上経つ出来事がずっと忘れられなくて怒り続けている。ある悪意のある言葉が自分に向けられたものなのかわからないというだけのことで、もしちがったのならこの怒りは無駄だし、どちらだとしてももう永遠に確かめられはしないと思うし、だったら忘れ去ればいいのだけれど。わたしもきっと悪意をたくさん向けてきたから、イーブンか。宛名のないわるぐちは嫌だ。宛名があれば良いってわけじゃ、ないんだけど。

2022年2月2日

 本当に大好きで大切だったのに、いつのまにか失われそうになっているもののことを思う。依りかかりすぎて壊してしまうようなことばかりだ。嫌われることはすくなくなかったけれどべつに慣れてはない。
 執着するほうだと自覚してはいる。きっと、ぐずぐずに崩れるまでしがみついてしまう。なにも無かったようなかおをして諦めるよりはまだいいと思っている。

2022年2月1日

 爪の横の皮を噛んだり、ささくれを引っぱったりして油断すると血が滲んでいる。何かいやなことがあったわけでもないから、八つ当たりとかそういうものではない。結果として絆創膏は殆どそのために買う。

2022年1月30日

 一月もおわっていく。少し肌が荒れている。年賀状を今年は一枚も書かなかった、送ってくれたひとたちになにかお手紙を書こうと思いながら、そのままになっている。

2022年1月29日

 調子が悪いとスーパーで買ったものを袋に入れるのが圧倒的に下手になってしまって、サッカー台の前で長いこともたもたとしている。まあ、でも、大丈夫。もともと上手じゃないし、最終的には、だいたい入る。

2022年1月28日

 「悩んでいるときトイレの夢を見る」という情報をわたしに教えたのはおそらく子どものころ、地元の図書館で見た夢うらないの本だった。わたしがときどきトイレの夢を見るのは実際に悩んでいるからというより、その記憶によるところが大きいのだろうと思う。思い出と経験が重なり合っている。
 たいていは汚かったり狭かったり扉が無かったりどこも空いていなかったりするトイレなのだけれど、今朝、見た夢はやけに広いパウダールームのようなところで、こんなところがあるの、と感心するようなかたちで周りを見回していた。同じ職場の人たちが何人かいて、くつろいでいたような気がする。
 そこには、高速バスかなにかで到着した。朝で、着替えたいという状況だった気がする。大きめの道路を渡った向こうにお手洗いのピクトグラムがあった。信号を渡るときものすごく向かい風で、洋服を抱えてほとんど飛ばされそうになりながらなんとか辿り着いた。そうして入り口あたりはふつうの、少し広めの公衆トイレのようなのだが、奥へ入って行くとその広い部屋があったのだ。藤の椅子など置いてあった。
 トイレの夢にしてはいつもより悪くない夢だった。けれどやはり、着替えるには周りからまるみえという状況で、なにかが足りていれば、なにかが足りない。着替えをするまえに、目が覚めた。

2022年1月27日

 悪いことはしないで生きていきたいと思うが、むずかしいときもあるだろうか。大丈夫だといわれるけれど、心配してしまった。

2022年1月26日

 今朝は久しぶりに怒り狂っている夢を見た。
 バイオリズムなのかやたらとお腹が減って昨夜はたくさん食べてしまった。食べれば良いのだけれど、吐き気が再発しないかだけ心配。調子に乗ってはアカンと自分に言い聞かす。

 会社のパソコン、「障害」と何度書こうとしても「障がい」や「障碍」ばかり出すくせに、「智将」と書こうとしたら「池沼」が先に出てきて、なにかをはき違えている気がしてならない。もともと差別用語でないものを言い回しだけ変えても余り意味が無いように思うし、もともと差別用語であるものを堂々と出さないでほしい。

2022年1月25日

 コロナ禍で生きやすくなってしまった面もあることに罪悪感をおぼえる。具体的には施設住まいの義父のもとを訪れる回数が減ったこと、いわゆる盆暮れ正月に外泊の(介護の)手伝いのことを考えなくて良くなったこと。自分のことを冷たい人間だと思うが、同時に、結婚してからそれらがずっとストレスになっていたのだと感じる。義父のことは決して嫌いではないし、わかっていて嫁いだのだというのに。

2022年1月24日

 新型コロナがまた流行ってきてしまってハラハラしている。今に始まったことではないがわたしに出来ることはあまり無い。感染対策しながら暮らすのみ。

2022年1月23日

 せっかくホームページを作ったので日記のようなものをここに記したいと思う。ツイッターやブログに書いても変わらないようなことなのだがベタ打ちのテキストにインターネットを感じる世代である。

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